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太陽と大地の恵みをそのままお土産に
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じっくり育った畑の宝石をそのままお土産に

石垣島は、国内でも数少ないパインアップル作りに最適な環境。その栽培技術は台湾からの移民が教えてくれました。

パインアップルが一つ育つのにかかる時間は、なんと2年6ヶ月。畑のそばにアスファルトの道が通るだけでも味が変わってしまう繊細な果物で「畑の宝石」と呼ばれています。島の恵みをそのまま持ち帰れるよう、チャーミングな専用バッグをデザインしました。

生産者:やえやまゆらてぃく市場 × デザイナー:イシガミアキヨシ
販売場所:JAファーマーズマーケット ゆらてぃく市場
住所:沖縄県石垣市新栄町1-2


このお土産のストーリーを読む

肥沃な山の麓でパイン栽培

太陽が燦々と照りつける畑の間の小道をぬい、慣れた手つきでスイスイと軽トラックに乗ってきた當間保司さん(37歳)。パイナップル(以下、パイン)栽培を始めて5年目になる若手のパイン農家さんです。

県内最高峰の於茂登山の麓に位置する當間さんの畑。さっきまでかんかん照りの太陽があったと思ったら、今度はサーッと時雨が通り抜けます。

この付近の傾斜面には丈の低いゴツゴツとしたパイン株がズラリと並び、茎の上にちょこんとのった小さな実や赤い花が畑を鮮やかに彩ります。

「親父にできて僕にできないことはないと思ってパインを始めたんです」。

こんがり日焼けしたほっぺたでニヤリと笑みを浮かべながら、父親からパイン生産を引き継いだワケを話す當間さん。
そのちょっとおどけた口ぶりの裏には、パイン栽培への情熱とひとかたならぬ苦労がありました。

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苦労の末にできる1個のパイン

當間さんのパイン畑の広さは60アール(約1815坪)。植えるのも収穫も、草取りなどの日々の作業もすべて手作業。たとえ作業がない日でも毎日畑へ出向き、「草は生えてないかな」「まんべんなく成長してるかな」と端から端まで様子を見てまわります。

そして2年半の長い歳月ののち、1株のパイン株からなる実はたったの1個。農家さんにとっては、収穫までの間にパイン1個1個の個性が分かってくるほどの濃厚な付き合いとなるのです。

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沖縄県農業協同組合(JA)でパインの販売を取り仕切る長堂勝吉さんと、島のパインが集まるJAファーマーズマーケット「やえやまゆらてぃく市場」の店長・幸喜英信さんは、「こうした努力の下にパインが出来上がっているということを知ってほしい」と語ります。

農家を始める前は親父にできるなら自分にもできると傲語していた當間さん。
「今は親の偉大さが分かる」としみじみ話します。「1本1本肥料をまくのにも技がいる。親父が作ってきた品質を落とさないように、そして周りの先輩に負けないように頑張りたい」と意気込みます。


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進化を続ける畑の宝石

「畑の宝石」————貴重なパインのことをこう表現する人も。
数十年前までは、沖縄の家庭ではパインの缶詰を開けるのはさながら「儀式」のようなものだったとか。

ちゃぶ台を取り囲んだ子どもたち。お父ちゃんがギコギコと缶のふたを開けると、ダイニングに広がるフルーティーな香り。子どもたちはその中身の輪っかを1枚ずつもらうと、したたる甘〜い汁と一緒に1口1口大事に食べて幸せを感じた時代がありました。

今は欲しいと思えばいつでも手に入る生パイン。年々改良され、缶詰のころとは比べ物にならないほどに品質もアップしました。

「30年前のパインは食べ過ぎると舌が切れるのが当たり前だったけどね、今のはそうじゃないでしょ?」と幸喜さん。「パインにはまだまだ未知の部分が多いんです。未来のパインは、まったく違った形になってるかもしれないよね」と、目を輝かせます。


パイン作りにうってつけの石垣島

石垣島産パインは糖度が高く、甘みと酸味のバランスが絶妙。夏場の収穫期になると、この瑞々しいパインを求めて県内外から注文が殺到します。

パインは気温がたった1〜2度違うだけで、甘みに影響するといわれています。温かいほど糖度が高くなり、甘みが出てくるのだとか。日本の最南端の生産地・石垣島のパインだからこそ、国内屈指の甘みで定評があるのです。

畑のそばの道にアスファルトをひいただけでも味が変わってしまうという、実は繊細なパイン。ほどよい潮風を受けると、さらに熟成度も変わるといいます。

力強い太陽、赤土の酸性土壌、ミネラル豊富な潮風、水はけのよい畑、山の麓の肥沃な大地・・・偶然なのか、必然だったのか、石垣島の自然そのものがパインに最も適した環境なのです。

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イノシシをも魅了する甘い蜜

海に囲まれた南国の石垣島。さぞかし台風などの自然災害に苦労していると思いきや、當間さんによると「1番苦労しているのはイノシシ対策」だといいます。

電気がビリビリと流れる柵をめぐらしたりしましたが、「それもあまり役に立たなかったんですよ。イノシシは柵に当たると痛いのを知っていても、それを倒してでも入りますよ」と當間さん。
イノシシは一度あの甘〜い味を覚えると、痛いのは我慢してでもパインめがけて突進してくるのだとか。

「イノシシも、ここのパインが美味しいのは分かってるんですよ」
長堂さんと幸喜さんも笑います。


パインで島に貢献した台湾移民たち

初めてパインが島で栽培されたのは明治5年、石垣島沖に座礁したオランダ船からパインの苗が流出したと言われています。本格的に生産が始まったのは昭和10年。台湾から栽培農家が入植し、その礎を築きます。

マラリアや台風被害などさまざまな苦難を乗り越えて生産された石垣島のパイン。県内から最初のパイン缶詰が出荷されたのが、この入植者たちがもたらしたパインでした。

戦中はぜいたく品として製造が禁止されますが、密かに保存していた苗を戦後畑に植え、パインの缶詰生産を拡大しました。これが戦後の沖縄経済を支える産業にまで発展し、島の人々の生活にも大きく寄与したのです。

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島の魅力をギュっと詰めて・・・

「パインは食卓に届いたとき、皆が笑顔になるんです」と長堂さん。

県外のお客さんからは、「家族みんなで切って食べたら、甘くて美味しかったよ」「近所のみんなに配ったら喜ばれた」「孫が喜ぶのでまたあげたい」という意見をたくさんもらうのだとか。

パインが手軽に手に入る世の中になった今でも、食卓の周りに人を集める石垣島の完熟パイン。農家の當間さんは「石垣島の人の魅力をこのパインで伝えられたらいいなと思います」とパインに思いを託します。

石垣島の太陽・海風・土壌、そして島の温かい心が育くんだパイン。今日もどこかの食卓に、笑顔を届けてくれます。

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