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落合博満の学生時代がエグすぎてヤバいww高校時代は暴力を受けて不登校!?

元中日の監督落合博満さんが11月21日のサンデーモーニングに生出演。

日本シリーズや大谷翔平選手などについてコメントをしていました。

現役時代に光り輝いていた落合博満さん。

壮絶な学生時代を過ごしたということで、本記事では落合博満さんの学生時代に迫っていきます。

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落合博満の学生時代が壮絶すぎるww

では、現在の簡単なプロフィールについて見ていきます。

落合博満のプロフィール

名前:落合博満
生年月日:1953年12月9日
出身地:秋田県出身
所属球団:1979年から1998年
ロッテ、中日、巨人、日本ハム

こちらが簡単なプロフィール

落合さんの家族では男3人、女4人の7人兄弟の末っ子として生まれたそうです。

大家族の末っ子だったんですね。

では学生時代を見ていきましょう。

落合博満の中学生時代

落合さんがどこの中学を卒業したのか、明確な情報は出ておりません。

しかし、中学は自分の生まれた地域の学区内に行くことがほとんどなので、出身地から推測できます。

落合さんの出身は秋田県の男鹿市という地域です。

そのため、中学は

男鹿市立潟西中学校

なのではないかと予測できます。

中学の頃から野球がうますぎた

落合さんは中学生の頃から野球が非常に上手かったようです。

「毎日練習していた。投手で4番。当時、秋田でおれが一番うまかったと思う。故郷・南秋田郡の大会の1回戦で負けたんだけど、地元紙のスポーツ欄に『怪童、1回戦で散る』って大きく書かれた」

引用:朝日新聞

投手で4番を務めており、県内でも1番上手かったと自信を持っておられます。

しかし、チームはそんなに強くなかったようで地方大会でも一回選負け。

落合さんの一強であったがために、「怪童負ける」というような取り上げられ方をされたようです。

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落合博満の高校生時代

落合さんは「秋田県立秋田工業高等学校」出身です。

県外に出ると思いきや、秋田県内に残ったようですね。

ちなみに、中学で野球がうますぎたことにより、数多くの高校から呼ばれたそうです。

当時は受験しても何を書いても受かるくらい、落合さんを欲しい高校が多かったそうです。

練習で楽をしたかった

落合さんは練習で楽をしたかったために、秋田工業を選んだようです。

――秋田工を選んだ理由は。

 一番練習が楽だろうなと思った。

引用:朝日新聞

小さい頃から野球は好きでしたが練習嫌い。

野球を常に遊びと捉えていたようで、とにかく固い練習がしたくないタイプのようでした。

また、高校野球のレベルが低いことを知り、高校一年生ながらにして

「練習しなくていいや」

と悟ったそうです。

先輩からの暴力を受けて登校拒否!?

1番壮絶だったのは高校生時代でした。

落合さんは野球がうますぎることにより、秋田工業の先輩たちから嫉妬の目で見られるようになります。

高校一年生からレギュラーでエースを務めた落合さん。

しかし、先輩たちからは暴力をされるようになったそうです。

上級生が『おれは1年先輩なんだから、言うことを聞かないといけない』と下級生にものを教える。それになじめなかったね。村で育ったので、横のつながりというか、みんな仲間意識があるでしょ。それが秋田市に出て、こんな違いがあるんだって初めてわかった」

引用:朝日新聞

落合さんは高校時代をこのように振り返っています。

さらに、先輩からの暴力により落合さんは部活に行かなくなります。

映画館に毎日のように通うようになったと語っています。

結果ほぼ不登校。

しかし、試合の前になると部活に呼び出され、落合さんが渋々大会に出ていたようです。

それが3年も続き、高校時代は都合のいいような使われ方をされたようですね。

もし、落合さんが高校時代にしっかりと練習を積んでいたら・・

と考えると相当な化け物が誕生してかもしれません。

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落合博満の大学時代

落合さんは高校を卒業して、東洋大学へ入学します。

高校を卒業した後は就職すると決めていたようですが、東洋大学の野球部のセレクションに参加したことがきっかけで東洋大学に入学。

なんとそこで、ホームランを打ったことで評価されて合格に。

大学側から評価を受けて、東洋大学へと進学します。

そして、東洋大学を中退

ほぼ不登校だった高校時代から一風変わって大学では順風満帆に・・

というわけでもなく、なんと東洋大学を中退。

――東洋大でも野球をやっています。

 「半年でやめたよ。肩と足をケガしたのもあるしね。監督が『復帰は2年生になってからでもいいから』と言ってくれたけど、『もうやめさせてください』と言って秋田に帰った」

引用:朝日新聞

ご本人曰く、怪我が原因だったと語っています。

しかし、またしても、高校時代と同じく野球部の古い体質に直面したことも中退の原因の一つでした。

「先輩を立てる」

「学年が一つ上というだけで、後輩に威張る」

という先輩たちの姿に耐えきれず部活を辞めて中退したようです。

秋田の実家に戻り、プロボウラーへ

東洋大学を中退した後は、秋田県の実家に戻りボウリング屋でバイトをしたそうです。

ボウリング屋でバイトをしているうちに、ボウリングに熱中。

なんと、プロボウラーの道を目指すことも志していたそうです。

(野球がかなりうまいのということなので、ボウリングもうまそうですが。)

しかし、秋田県に戻り地域の草野球に参加するようになってから、野球の熱が再燃します。

20歳を目前にして、高校時代の恩師である野球部部長を訪ねて就職を相談。

結果、社会人野球・東芝府中のセレクションの受験を勧められ、合格しました。

まとめ

本記事では、落合博満さんの学生時代についてまとめました。

野球がうますぎて周りから嫉妬された高校時代。

そして、大学でも部活の雰囲気に慣れずに中退。

ものすごい逸材であったにも関わらずに、あまり環境に恵まれてこなかったようですね。

もし、学生時代に良い環境で練習を重ねていたら現役時代以上の功績を残していたかもしれません。

ご一読ありがとうございました。

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