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おばあたちの人生に触れ,長寿の「謎」を探る旅

  • 長寿
  • 探し出す
  • 受け継ぐ知恵
  • 平均寿命が長い日本の中でも、とくに長寿で知られる沖縄。石垣島のおじい・おばあも、元気で働き者の方が多いと言います。
    「元気なおばあたちはどんな風に生まれ育ち、いまを生きているのだろう?」。そんな思いから石垣島に飛んだのが、気鋭のミステリー作家・八木 圭一さん。
    島のおばあを訪ね、普段の食生活から恋愛話、戦争の記憶までの人生ストーリーを取材します。はたして、長寿の「謎」を解くヒントを見つけることができるのでしょうか。そして、その生き様からどんな島の魅力を再発見するのでしょうか。

    この旅の旅デザイナー:八木 圭一

    ミステリー作家兼コピーライター。宝島社第12回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、『一千兆円の身代金』でデビュー。トヨタ自動車のポータルサイト「GAZOO」にて、車×ミステリー小説「女子オプ―自動車保険調査員・ミキ―」を毎日連載中。(2015年4月現在)

    島の魅力を再発見する旅のプラン

    DAY 01:
    石垣空港着 ー昼食:マエザト食堂(八重山そば)ー取材:荻堂久子さんー夕食
    DAY 02:
    朝食ー取材:川平在住のおばあ(84歳)ー昼食:白保食堂 ー白保日曜市 ー取材:白保在住のおばあーハトナイト@石垣島
    DAY 03:
    朝食ー観光(おばあに聞いた伝説の場所を訪ねる)ー取材:与那国島出身のおばあー取材まとめ
    DAY 04:
    朝食ー観光ー取材:ユーグレナモールの金城商店のおばあー石垣空港 発

    DAY01

    複数の肩書きを持つ、踊るスーパーおばあに出会う

    東京の空は雨模様だった。飛行機に乗り遅れるのが怖くて結局一睡もせず、眠い目を擦りながら早朝5時前に部屋を出た。羽田に向かう途中ふと、おばあは毎朝この時間には起きて、優雅にさんぴん茶の湯のみを傾けているのではないかと想像する。嗚呼、まだ会ったこともないおばあにこんなに恋い焦がれるなんて!島ではいったいどんな出会いが待っているのだろう――。

    機内では窓から壮観な海の青さに齧りついた。曇り空に時折、陽が覗かせていて心も軽くなる。昼前に石垣島空港に到着し、USIO事務局の皆さんと合流。早速、一人目のおばあ、石垣市役所の翁長さん自宅近所(市内平得)に住む荻堂久子さんに会いにいく。取材場所は舞踊研究所(道場)だった。

    約束の時間に道場前で待っていると、琉球かすりの着物を身に纏った笑顔の素敵な女性が現れた。小柄ながら背筋がしゃんとしていて、活力に満ちたオーラが漂っている。

    久子おばあは御歳70を越えた今も、レストランシアター“あじ彩”で八重山舞踊を披露する一方、道場で多くの生徒を指導している。しかも、お見合い結婚した夫と作った建設会社の総務部長であり、国際ソロプチミスト石垣理事や八重山法人会女性部監事の要職も掛け持つ、スーパーおばあだ。

    ユーモアを交えながら、おばあが軽快に語り始めたのは、踊りと共に歩んできた自らの歴史、世襲した大阿母嶽神司への揺るぎない誇り、おじいとの夫婦生活秘話だった……。言葉遣いが丁寧で、頭の回転がとても早い。そして驚いたことに、踊りとの最初の出会いは高校時代のクラシックバレエだとか。若い頃は欲張りに琉球舞踊もやっていたが、八重山文化の奥深さを思い知ってからは八重山舞踊を極め、新たな創作も加えて、次世代に残そうと決めたのだという。

    幼少期、戦後マラリアを患った際、周囲は諦めかけた人もいたことを後に聞かされたこともある。だが、一命を取り留めた後は、病気には一切かかっていない。特に食生活で気を遣っていることはないが、日々元気に暮らせることに対して、感謝の気持ちだけは忘れない。忙しさもあり毎晩、就寝も遅いが、寝る前にニンニク酒を牛乳かお湯で割って一杯だけ飲むのが楽しみだ。

    おじいの話になると「わたしを妻にして絶対よかったさー」と笑う。かつて、断水の日に水を冷やしていなかったこと、同じ料理を続けて出したことに激怒したおじいも今ではすっかりまるくなり、多方面に忙しく活躍する久子さんを気遣って料理も手伝うし、後片付けもするという。おじいの特製料理を僕に試食させながら、「40年かけてやっとこうなったんだから」と勝ち誇ったように白い歯をこぼす久子さんに、石垣おばあの忍耐力、逞しく生きる強さを垣間みた。

    DAY02

    84歳と91歳のおばあに、恋の思い出と元気の理由を聞いてみる

    午前中、美しい川平湾のほど近くに住むおばあを訪ねた。帚を手に玄関前で歓迎してくれたおばあは、御歳84歳。優しい性格が温かい表情ににじみ出ている。

    川平の農家に生まれてから、ずっとこの地で生きてきた。今も仲睦まじく暮らす一つ歳上のおじいは、元々近所に住んでいて顔見知りだった。昔から背が高く、端正な顔立ちでかっこいいと思っていたが、二十歳になった頃に地元の青年会や畑での立ち話を通じて距離が縮まる。おじいの運転するオートバイで未整備の道なき道をデートしたこともある。名蔵大橋ができるまでは集落から市街地への移動も大変だった。プロポーズの言葉は「それは二人だけの秘密さー」と教えてもらえなかったが、夫婦喧嘩はなかったか聞くと「そりゃああったさー」と相好を崩した。どうやって仲直りしたのか聞くと、「夜中にね、自然と仲直りするのさー」と破顔したので、こっちまで口元が緩んでしまった。

    特に食べ物などは気にしていなくて、牛肉も豚肉も好きでよく食すそうだ。「石原裕次郎や高倉健が好きだったさー」というおばあは、いまも刑事もののテレビドラマが大好きで、夜遅くまで観ることもある。美しさはそのままに、周辺がすっかり奇麗に整備されて様変わりしたという川平湾。孫と一緒に散歩すると幸せを感じるというおばあの笑顔は終止穏やかで、とても素敵だった。

    川平を後にして、白保に急いだ。毎週日曜日にしらほサンゴ村で「白保日曜市」が開催されていて、これが13時までなのだ。終了30分前に到着し、覗いてみると活気があり、生鮮野菜や郷土料理が並んでいる。元気なおばあがいっぱい!

    そして、日曜市にはいなかったけど、高齢ながら現役でアーサを採り続けるおばあに話を聞けることに。14時過ぎに自宅にお邪魔すると、居間には作業を終えてパッキングされた新鮮なアーサと、乾燥中のアーサが所狭しと広がっている。汚れを落とすための苦労を語る御歳91の職人を前に頭が上がらない。孫と二人暮らしだが自分のことはできるだけ自分でする。おばあ、すごすぎる……。

    まわりのみんなには「いつまでそんな働くのか」と言われるが、「身体や手先を動かしている方がボケなくてよいのだ」と笑う。病院にもめったに行かない。「先生のリハビリよりも、海にはいるほうがリハビリになってよいさ」というおばあは、海にもぐってアーサを採るのだ。アーサの季節が終わると、今度は芭蕉布を織るための芭蕉(葉鞘の繊維)を紡ぐ。とにかくじっとしていられないのだそうだ。

    孫やひ孫は二十数人に増え、正月には居間が賑わいを見せる。「おばあのジーマーミー餅は美味しいと言われるから、今度来る時は作って上げるさー」と、優しく声をかけてくれた。自分も強く生きなきゃと背中を押された気がする。

    DAY03

    出会いから見えた「長寿の秘訣」と、ひそかな構想

    市役所やユーグレナモールにほど近い民宿・南国荘。ここがUSIOプロジェクトの用意してくれた僕の活動拠点。そしてここでもおばあとの嬉しい出会いがあった。

    去年、76歳の時に長男に宿を引き継いだおばあは、三十数年間、年中無休で切り盛りしてきた。毎晩、夜中2時くらいに寝て朝7時に食事を出すため、5時には起きてすぐ準備する生活を続けた。年末年始くらいは休みたかったけど、断りきれずに素泊まりを条件に客を入れて結局、飲食店がやっていないので、そばを出した。料理は大好きだし得意だったので、毎日いかに安く美味しいものを客に食べさせて喜ばせようかと工夫しながら力を注いだ。

    数年前に病を患ってからは食事の提供をやめた。やっと休みをとっておじいと旅行もするようになった。でも、都市に行ってみて「空気が悪いなと思ったさ。やっぱり、石垣の空気が一番あうさー」と頬を緩める。「足も腰も、もうあちこち痛いさー」と言いながら、とても元気そうに笑みを浮かべている。

    おばあは与那国の農家出身だ。長年、水道もガスも電気もない生活だった。物心ついた時から家の仕事を手伝ってきたが、20歳の時に沖縄本島に渡る。そして、同じ与那国出身で船乗りをしていたおじいと那覇で運命的な出会いを果たす。
    お互いすぐに魅かれ合い、「俺、なにもないけど、ついてくるか?」とドラマみたいなプロポーズをされて結ばれる。
    ほどなく授かった長男を連れて二人で与那国に戻って10年ほど過ごし、沖縄復帰の年に今度は石垣島にやってきた。

    おじいが船長として離島間を航海するなか、飲食店で働いていたおばあに南国荘を住み込みで切り盛りして欲しいという話が来た。一人では到底無理だったが、おじいも長男も文句を言わずに手伝ってくれた。

    毎日大変だったけど、話好きなおばあに会うためにまたやってくれる客も多くて、本当に楽しい思い出ばかりだという。おばあが歩んできた南国荘での歴史は、石垣島観光の歴史でもある。当初は学生の合宿受け入れが多く、ダイビングブーム以降は客層が広がり数も一気に増え、決して大きくはない宿だが、ずっと多くの客で賑わってきた。
    大型客船が就航していた時は、「お客さんを港まで見送りしてさ、船からテープのばしてさ、ああいうの好きだったさー」と過去を懐かしむ。やはり、引退してしまってからは客と触れ合えないために寂しさはあるのだという。

    石垣島の好きなところは、住みやすいところ、波が静かなところ。与那国の絶景も大好きだが、台風が来る度に一家で大変な苦労をしたそうだ。また、八重山諸島の玄関口として多くの文化が行き交う中で、「人間関係で適度な距離感を保つところは、沖縄的ではないかもしれないけど、石垣のいいところさー」というのは初めて島に訪れていろんな方と接する自分でも、納得感があった。

    ユーグレナモール(公設市場)の中にある金城商店。決して広いとは言えない路面店にはパンや弁当の他、塩せんべい、アンダーミシュ、ちんすこうなどの定番土産が並ぶ。店を切り盛りする金城春子さんは御歳93。朝8時に起きて、長男と入れ替わりで11時頃から19時まで店に立つ。今まで約50年間、ほぼ年中無休で店に出てきた。ずっと店から離れられない生活だったので、石垣島の他のエリアには行っていないし、豊年祭にすら参加したことがないという……。

    朝は青汁とコラーゲンの粉末を飲んでいる。好き嫌いはなく、店で出している弁当を昼と夕に二食という生活を続けてきたので料理はしない。夕方毎日のように顔を出す義理の妹が、「弁当が長寿の秘訣じゃないかねー」と笑顔で茶化す。

    おばあは黒島の出身で、同郷のおじいと結婚したのは終戦後、22歳の頃。戦争に行った一つ歳上のおじいの帰りを祈る気持ちで待ち続けていた。地元の同級生の男子の多くはみんな戦争で帰らぬ人となった……。だが、おじいは無事に戻ってきて、「ただいま」と言ってくれた。それがプロポーズの言葉だ。どちらからともなく、お互いに想い合っていた運命の人なのだ。その後、黒島では牛や米などの農業の他、洋裁もしていたが、37歳の時におじいと石垣島にきた。

    おじいは10年ほど前に他界したそうだが、「あんな人いないさー。私は失敗ばかりしたのに、神様みたいな人だったさー」と笑みをこぼした。黒島で飼っていた大切な種牛を盗まれた時でさえ一切怒らなかった。生まれ変わってもおじいと一緒になりたいか聞くと、「きっと待っていてくれているさー」とすぐに首を大きく縦に振った。毎日仏壇を拝んで、おじいに声をかけているという。おじいを今なお想い続けるおばあの愛情に胸を打たれ、込み上げるものがあった。

    金城のおばあ取材を最後に、僕は石垣島を後にした。4日間、駆け足だったけど多くのおばあから本当に貴重な話を聞くことができた。自分にもう少し八重山文化の知識があればという反省点はあるが、話が聞き取りやすかったのはおばあの気遣いだろう。

    また、日記では書ききれなかったけど、商店でも、道ばたでも、スナックでも声をかけると誰もが気さくに応じてくれた。恥ずかしそうにしながらも皆、おじいとの恋話を嬉しそうに語ってくれたのが印象的だった。

    働き続けるおばあは、新聞を読んでいたり、手作業をしていたりじっとしていない。野菜中心というような食生活をしている人はいなくて食べたいものを食べていて、睡眠時間も短い。やはり、生きがいややりがいを持っていることが長寿の秘訣かなと思う。そんな話をもとに僕はいつか島を舞台に、映像化されるようなおばあのミステリ―を描きたい。なぜって、ドラマ好きのおばあが多かったからさー!

    八木さんがみつけた石垣島

    いちばん美味しかったものは何ですか?

    石垣島のゆし豆腐

    朝ごはんにいただいたゆし豆腐でしょうか。いつも朝食は摂らないのですが、健康的で石垣島に住んだら毎日食べたいと思いました!
    あとは、深夜に食べた十八番街にあるディープなスナックのヤギ汁も忘れられないですね。

    いちばんの絶景ポイントはどこですか?

    川平湾ですね。川平のおばあが写真を引っ張りだしてきて見せてくれましたが、周辺は整備されつつも、川平湾の美しさがそのまま残っているのは本当にすばらしいと思います。

    お土産は何を買いましたか?

    ユーグレナモールで、白保で取材したおばあのアーサを見つけ、感動して5袋衝動買いしました!店のおばあいわく、とても丁寧な仕事で高品質なものをおろしてくれることで有名とのことで、絶大な信頼を寄せていました!